大学院での積極参加について






前回、米国大学院をめざす日本人志願者を取り巻く環境がいっそう厳しくなっていることについて書きました。今年トップスクールへ出願する日本人の間での競争は、過去最高だった昨年よりもさらに厳しいものとなると述べたわけですが、そのなかでMBAプログラム側のカリキュラム及び授業指導方法の変更についても言及しました。

そのような影響を受けて、現在入学審査担当者が、各志願者の評価する際に、もっとも気にかけていることとは、次の三点です。

クラスに一層の多様性を加えてくれそうか?
クラスに積極的に参加するだろうか?
自分が学生の立場に立ったとき、はたしてクラスメートとしてその人物を好ましく思うだろうか?
この三点の課題にNOと言われてしまったら、それでトップスクール入学のチャンスは、よく見積もってもごく僅か、と思って下さい。たとえどんなにテストの点数が高くてもです。

入学審査官は、エッセイと面接の内容を元に、志願者がどれほどクラスに溶け込んで、積極的に授業に参加できるかについての力を判断します。

大学院のプログラムで「クラスに貢献する」というのは、ただ単に、豊富な実務経験を持つとか、とりわけ熱心にコミュニティでの活動に係わっていた、ということではありません。それは、授業中の議論に積極的に参加したり、あるいは他の、例えばグループ・プロジェクト、課外活動、社会的な催しなど、授業ほどには公式ではない場での活動を通じて、各自の経験を他の人と分かち合えるかどうか、ということです。

積極的に参加するためには:

英語を話ができる力があるか (流暢でなくとも何とかなる)
英語で話そうとする意志があるか (文化的・教育的な違いを乗り越えて)
人に話すだけの価値のある知識、情報、その他のネタを持ち合わせているか(自分の意見やアイデアを持つこと)
当たり前のことですが、他のクラスメートが日本人(あるいはどの国の出身者でも)に対して、世界中のおよそ全ての問題に関して専門知識を持っているなどと期待することは、そもそもはじめからありません。そうではなく、日本人には日本のことを詳しく教えてくれるよう期待していますし、とくに「世界経済に関連した自国の問題についてなら基本的な理解はあるはず」と考えているのです。また他の人がある問題について自分の見方を述べる時には、その人の話に耳を傾けるようにも期待します。その問題の解決策が日本人の目から見たものと違う見解であっても、それを尊重するように期待しています。また堂々とみんなの前で話すことも期待しています。当然「建前」などは通用しませんし、米国でしかあり得ない文化的環境のもとで「建前」をつかうことを、他の学生たちは許してくれません。そして米国のそんな環境のなかでは、学生とは、けっして社会と切り離された存在ではなく、実世界と同様に、民族や文化的背景を異にする、さまざまな人たちが集う集団を意味しているのです。

大学院の正式な授業がはじまる直前、米国に行ってサマースクールに出席すれば、それで何とか授業に付いていけるようになる。そのように勘違いしてしまう日本人の方も多いのです。けれど、この考えはナイーブに過ぎます。自分であまりにもナイーブだったと気付くころには、たいていが手遅れです。そして、複雑な、速口の、慣用句をたくさん交えた英語で教授が話をしている、それもこれまで自分が余り耳にしたことのないアクセントの英語を喋っている。さらにクラスメートは各々の意見を述べようと身を乗り出さんばかりである。そんななかに、ただぽつねんと座っている自分を発見することでしょう。

そのような目にあうのは誰しも避けたいものです。
ですから賢くいきましょう。英語で討論するための能力を、いまこの瞬間から鍛え始めてみて下さい。

W.J.デヴァリエ
(株)インターフェイス 社長

[記事発行:99/09/03]