Oxford MBA 合格体験記

進学予定先:オックスフォード 合格体験記 (Said MBA)

大学院出願準備記(出願エッセイ、インタビュー対策など)
MBA合格体験記 No.471






合格: Saïd Business School, HEC Paris
不合格:INSEAD(インタビューなし)

ビジネススクールの受験者が思い描きがちな、「典型的なプロフィール」とは、私はなんの共通点もありません。受験当時の年齢は30代後半であり、大学の文学部に勤めていました。世界を駆け巡って朝から晩まで働き、数十億円のプロジェクトをまとめ上げたというようなビジネスの経験はありません。そのかわり何をしていたかというと、図書館にこもって論文を書いていました。経済学や経営の基礎をまともに学んだことはありません。ビジネススクールに行った人はまわりに誰もいませんでした。

経営と人文学の統合に取り組んでみたい、というメールをデバリエ先生に送ると、「興味深いフィールドにいる」と返事が返ってきたので、エッセイプレパレーションをお願いしました。

まず、INSEADは年齢制限が非公式にありそうだという話をされました。つたえられた数字は私の年齢より下でした。たとえクライアントが聞きたくない話でも、包み隠さずにつたえることをポリシーにしているそうです。自分の年齢を考えると不利であるらしいことはわかっており、へたに希望があるといわれるよりはよほど小気味がよかったので、そういう話を聞きたかったのです、不利なのは承知で挑戦しますといいました。その結果、インタビューの招待なしに不合格でした。出願時のテストスコアは昨年度合格者の平均点を超えていたため、本当のことはわかりませんが、年齢制限はあるのかもしれないという思いを強くしました。

曖昧模糊とした私の話を聞いて、デバリエ先生は出願の方向性にヒントをくれました。この方向性にしたがって、以後のエッセイをすべて書くことになりました。それは簡単な作業ではありませんでした。大学の論理に引きこもって具体的なビジネスの現場へ目配りを忘れるたびに厳しい指摘をうけ、長々と書いた草稿を全部捨てて書き直しました。書いた文章の意図を説明するときには何度も”You are thinking in Japanese”(日本人的なものの考え方をしている)といわれました。

それぞれの学校が課してくるエッセイの質問に答え続けていると、自分の業績の貧しさやリーダーシップの欠如をごまかしきれなくなり、暗澹たる気持ちになります。これまでの経験を活かしながらも、違う分野へ進出するために説得的な論理を組み立てる作業は、まだ見えないハシゴに向かってジャンプを繰り返すような苦しいものでした。そうした作業に絶望し、もはやこれまでかと思うたびに、デバリエ先生はその場でさまざまな解決策を提示してくれました。
たとえばこんなやりとりをおぼえています。「私は自分がなぜ詰まっているのかわかりましたよ。ビジネススクールは、入ってきた人をビジネスの世界へ橋渡しするんじゃなくて、入ってくる前にその橋を渡ってくることを求めているんでしょう」と弱音を吐く私を尻目に、デバリエ先生はGoogle検索をはじめました。ほどなくして、英語でビジネスの基礎を学ぶコースをいくつか探し出しました。これのどれかに登録して、「現在受講中」と履歴書へ書き加えておくようにといいました。私はそうしました。このコースで学んだ内容はインタビューで役に立ちました。コースで学んだことと自分の研究との関連について話すと、Saïdのインタビュアーは深くうなずきました。

知識に頼るのではなく、直感的なアプローチの重要性を説くこともデバリエ先生の特色でした。GMATの本番で点数が伸びないことを相談すると、瞑想はするかと聞かれました。何の話ですかと聞くと、GMATで点数が伸びないのは、解けなかった問題を気にしながら次の問題を解いているからだ、いま解いている問題に集中するべきであって、それには瞑想の深い呼吸法が役に立つのだが、たいていの人は自分が冗談を思っていると思って実行しないという趣旨のことを言われました。私は過去に少し参禅の経験があったので、この指摘はあたっているかもしれないと思い、以前行っていた禅寺へ通い直しました。GMATの本番で禅の呼吸法を維持しながら問題を解くと、答えに不安を感じた問題の後でも、自分が前の問題にこだわっていることを意識できるようになり、そのような思考を打ち切って今解いている問題に集中することができました。その結果、受験校に出しても問題がなさそうなスコアに達することができました。禅はインタビュー対策にも効果がありました。インタビュアーに会う直前に禅の呼吸法を思い出すと、動悸と身体のこわばりが自分でもわかるほど急速に収まり、 楽になりました。

インタビューは90%演技だ。このように言われて、インタビューは一定のルールに従って行う競技だと割り切ることができました。とはいえ、インタビュートレーニングは失敗の連続でした。喋り方が不自然だ、情熱がこもっていない、自信があるように見えない、「もう一回」と何度やり直しを求められたかわかりません。ボールを投げても投げても的に当たらないもどかしさのようなものを感じながら、本番の直前まで繰り返しトレーニングに付き合ってもらいました。想定問答の答えを丸暗記するな、英語の間違いではなく、伝えようとする内容の方を気にするようにと繰り返し注意を受けました。こうして、演技ではない残りの10%をいつでも自分の底から出せるように訓練を続けていたように思います。本番では、想定していなかった質問についても遅滞なく、考えながら答えることができました。

出願のプロセス全体について、最初私は弓道のイメージを思い描いていました。的に向かって弓をじゅうぶんに引きしぼり、気がついたら矢が的を射貫いているかのごとく、しっかりと準備をしてのぞむべきだと思っていました。しかしそれは理想にすぎませんでした。じっさいには、TOEFL、GMAT、エッセイを同時に、仕事を続けながら準備することになりました。テスト、仕事、出願の締切といった競合するスケジュールのあいだで何度も決断をくりかえさなければなりませんでした。最後まであきらめずに粘ったといえば聞こえがよいですが、実際は準備不足で最後まで合格が危ぶまれたので、締切の間際までテストスコアの改善を続けました。

結局うまくいった要因を考えてみると、エッセイプレパレーションをお願いしたことによって、それまでうまく想像できなかった目標を具体的なものにできたことがあると思います。
私自身の目標が珍しいものであったかどうかは判断ができませんが、デバリエ先生は終始私の試みを励まし続けてくれました。
エッセイ作成のためにカウンセリングを受け、自分のこれまでの仕事やリーダーシップ、将来像について熟考することは、心理的な変容の過程であると思います。こうした過程には多かれ少なかれ感情の起伏が伴い、クライエントの感情的な体験の密度は、それを許容するカウンセラーの熟練度に依存しているでしょう。デバリエ先生はこうした事情を知悉しており、表出される感情の役割と、感情の奥底にあるものを見る「眼」を持っていました。お世話になった間に私はよく叱られたのですが、犯すと致命的に危険な失敗を知らせるために怒りを使っていることがつねに感じられました。こうした「眼」を持った人と密度の高い時間を過ごさせていただいたことは、私にとっての大きな学びでした。
インターフェイス全体のサービスは、クライエントの要望に合わせて、シンプルで小回りがきくように考え抜かれていると感じました。小貫さんにはつねに穏やかに、的確に、私の急いた要望に対応していただきました。一進一退する出願状況のなかで狼狽していたときに、この安定感に助けられたことは一度や二度ではなかったことを付言しておきたいと思います。





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