代表者インタビュー記事
ビジネス・フォーカス
「衝撃は柔軟に受け止めよ」
トーマス・ボートマン
ACCJ(日本米国商工会議所)ジャーナル2000年3月号掲載インタビュー記事
「強い意志がなくてはね」ウォーレン・デバリエは起業家たる秘訣についてこう語る。ガッツにかけては、これまで3度のマラソンに出場し目下4度目に備えてトレーニング中の彼は間違いなく人一倍だろう。
デバリエは史上最大の金融プロジェクトの交渉を率い、共産党独裁後の混乱から復興しようとする国家を支援した経歴を持つ。現在はインターフェイスの創業者として、米国のビジネススクールへの留学をめざす日本人にGMAT試験や面接の指導をしたり、ビジネススクールで成功を収める方法について教えている。
「いつかは自分で事業を興すことになるだろうと思っていた」と語るデバリエはニューオーリンズ出身で、ジョンズ・ホプキンス大学School of Advanced International Studiesの国際関係でMAを取得した後、エクソンに入社している。
インターフェイスに通う生徒たちは、ハーバードやMIT、スタンフォードなどへの入学を志望する商社、銀行、広告会社、建設会社、製薬会社などに勤めるプロフェッショナルだ。
インターフェイスはビジネススクール受験者やキャリア転換を望む人々に「揺りかごから墓場まで」の指導を行っている。こうした指導は、米国スタイルの試験や面接に慣れていない日本人が受験を志す場合、とりわけ重要だ。数学を除くすべての授業が、留学先の指導言語である英語で行われている。MBAやPhDとビジネスの経験を併せ持つコンサルタントが一対一でカウンセリングを行うのがインターフェイスの強みだと、デバリエは言う。彼は12人のスタッフと8人のコンサルタントを雇用している。
インターフェイスでは誰もが率先して実務をこなさなくてはならない。デバリエ自身、上級クラスの文法とライティングを教えている。これは彼の成功のためのモットー、「官僚主義を廃する」を反映したものだ。
「非生産的な会議や不必要な報告、舞台裏での駆け引きなんかに時間を無駄にはできない」と、彼は言う。
1974年、デバリエはサルバドール・アジェンデ政権崩壊直後のチリへ、エクソン(エッソ)を立て直すために赴いた。アジェンデ時代の政策のおかげで当時チリの民間産業は荒廃していたという。彼は年間100万ドル前後のコストを削減するリストラ策を進めなければならなかった。その最終段階には、露天掘り銅山としては世界最大のものとなる鉱山をエクソンが買収するための交渉をまとめた。
デバリエはまた、ニューヨークのチェースマンハッタン銀行の専務取締役や東京のゼネラル石油の常務取締役も務めた。おそらく石油業界でのネゴシエーターとしての経験が、インターフェイス設立の原動力となったことだろう。4名の日本人とデバリエを含め3名の西洋人の役員で構成される取締役会の一員として、デバリエは日本の石油流通促進の一翼を担った。仕事の多くが日本人と西洋人の役員間のコミュニケーションを円滑にするためのものだったが、インターフェイスはそうしたスキルが自然と発展してできたものだ。
デバリエは起業を志す人々に、まずは専売特許と呼べるアイデアを持てとアドバイスする。「何かひとつ日本人よりも得意なものが必要だ」と、デバリエ。「時代の先端を行かなくてはいけない。だが、先を行き過ぎてもいけない」
そのほかのデバリエのアドバイスはこうだ。
日本語能力は役に立つが、不可欠ではない。
日本人のビジネスパートナーは必ずしも必要でない。
資金繰りには必要と思う以上に余裕を持って備えておく。
そして、衝撃を受けても柔軟に受け止めること。あきらめないことだ。
「インターフェイスを始めた頃は、玄関前に営業中の札を下げておきさえすれば自然とお客が入ってきてくれるものと誤解していた」と、彼は言う。もちろんそれほどたやすくはないが、年に100人ほどのクライアントを迎える今のインターフェイスの規模はデバリエにとってちょうどよい。
インターフェイスは当初口コミで広がり、その後インターフェイスを巣立って留学していった卒業生からの紹介でさらに広がっていった。今では、新規の問い合わせの3割程度がインターフェイスのホームページを見た人々からのものだ。キャリアの転換を考える人が増えているので商売は繁盛しているという。
「初めに時代の流れを読み、そこから変化の方向をつかむ」と言う彼は、この先失業率はさらに悪化するものと予測する。
「終身雇用をはじめとする社会的な約束事は失われつつある」と、デバリエは言う。「崩壊しかけていた停滞したシステムに、グローバリゼーションが変化のきっかけを与えたのだ」
デバリエは最近発表された日産のリストラ計画を分岐点と見る。「会計基準がより透明になってきている。かつては都合の悪いものを隠してきた人々も、今後は一掃されるだろう」と、彼は言う。それでは米国でMBAをという人々が、こぞってインターフェイスの扉を叩くことだろう。
トーマス・ボートマン−長年の東京在住者でフリーのクリエイティブ・ディレクター。
(写真キャプション)「時代の先を行き過ぎてはいけない」インターフェイス創立者ウォーレン・デバリエのアドバイス。